始業式・入園式が終わり、幼稚園は2021年度が本格的にスタートした。2020年の春、幼稚園を始められなかったことを思えば、様々な制約や脅威が未だ続く中ではあっても、とにかく「一緒に」いて「始められる」事が心からの喜びになる。
わたしにとって幼稚園での本格スタートは始業式だった。4月の聖句ヨハネ10章14節から「神さまに覚えられているから安心」という噺。「幼稚園に来るまではお父さんお母さんと一緒だから安心。幼稚園に入ったら先生がいるから安心。知られているということは「安心」なんだね。」と。続けて「実は先生たちも不安になることがあるんだよ。そんな時どうしたら良いかな。」と問いかける。オチは「子どもも大人も神さまに覚えられているから安心なんだ。」になる筈。ところがこの問いに子どもから返ってきた答えが「子どもが教えてあげるから大丈夫。」(!)
まさかこんな答えが返ってくるとは。ちょっと虚を突かれたのだが、振り返れば振り返るほど、この子の答えは100%正解だ。「教える」というベクトルはいつも常に大人から子どもに向かうわけではない。その逆だって大いにあり得る。それでこその人間関係なのだし、それでこそ「一人ひとりがかけがえのない人格を持っている」ということではないか。
こんな言葉がヒョコッと出てくるからライブ(「礼拝」のことだよ)は楽しい。思いや言葉が生きていると感じる。礼拝堂の空気まで一瞬にして爽やかになる。わたしたちが「神」を感じられるのは「霊」(=風・息)の力があってこそ。そして間違いなくあの瞬間、この礼拝堂に風が吹いた。霊が満ちた。嬉しかった。ワクワクした。
これからも、神の息吹が満ちる日々を送りたい。吹いてくる風に敏感でありたいと心から思った。
2021
18Apr