川のある町に住みたいと願っていた。初任地である秋田県横手教会は横手城の直下。城山の周りを掘割のように取り巻く横手川(よこてがわ)が流れていた。二番目の任地岩手県遠野教会では牧師館の窓から釣り糸を垂れると下を流れる来内川(らいないがわ)で山女魚が釣れた。三番目の任地山口県防府教会はやはり市民に親しまれている佐波川(さばがわ)が流れる町だった。四番目の任地川崎教会は山梨県と埼玉県との境にある笠取山を源とし全長138キロメートルにも及ぶ多摩川(たまがわ)と、東京都町田市上小山田町の泉を源流とし全長42.5kmの鶴見川(つるみがわ)に挟まれた川崎市では南北が最も狭い地域にあった。
それぞれ任地の週報には川の名前を付けたエッセイを書いてきた。遠野では「来内つづり」、防府では「佐波川のうた」、川崎では「多摩川べりから」。ところが四谷に川はない。『御府内備考』(地誌大系)の記載によるとかつては旧四谷区域にとどまらず、江戸城外堀以西の郊外をも含む広大なエリアの総称として「四谷」が使われていたこともあったというから「外堀通信」なんていうベタな名前も頭に浮かんだのではあったが…。
一方四谷には四代目鶴屋南北の狂言「東海道四谷怪談」があるではないか。しかもお岩さん縁の長照山陽運寺と於岩稲荷田宮神社が仲良く向かい合っている。教会から徒歩10分程度ならこの際お仲間に入れてもらうのはどうだろう。中味が軽薄な書き手が綴るエッセイのタイトルなんて所詮はこけおどし、肖ってなんぼなのだから。
以上がこのエッセイ誕生の秘話(?)である。「怪」が「快」なのはご愛敬。これから新しい場所で「こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなくかきつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」。なぁんだ、やっぱりアヤシ(怪)ぃんじゃん。
2021
04Apr