「枯れた骨の復活」
エゼキエル書 37 章 1~6 節
関口 康
「枯れた骨よ、主の言葉を聞け。これらの骨に向かって、主なる神はこう言われる。見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る」
2020 年最後の主日礼拝の今日、皆様にお開きいただきました聖書の箇所は、旧約聖書の三大預言書のひとつであるエゼキエル書の 37 章 1 節から 6 節までです。この箇所に記されていることに基づいて皆様にとって意味のある言葉を語らせていただくことが今日の目標です。
最初に個人的なことを申し上げるのをお許しください。私は現在、日本キリスト教団昭島教会の牧師であると共に、明治学院中学校東村山高等学校とアレセイア湘南中学校高等学校の聖書科非常勤講師をさせていただいています。
どちらの学校もまだ始めたばかりで、長年の流れのようなことはまだ言えないのですが、今年に限っては、たまたま両方の学校で同じ高校 2 年生の聖書の授業を担当しています。まだやっと1 学期と 2 学期が終わったところで、3 学期が残っていますので、彼らの評価にかかわるようなことは一切お話しできません。しかし、どういう内容の授業であるかはお話しできると思います。
どちらの学校でも高校 2 年生は、1 年間かけて旧約聖書を学ぶことになっています。ただし、それぞれの学校でカリキュラムが違いますので、授業の内容も全く違います。どちらの学校のことかは伏せますが、一方の学校で私が教えているのは、神学校レベルの「ガチの」旧約聖書緒論そのものです。私が勝手にしているのではなく、その学校でずっと前から行われていることです。
その授業で参考文献としてほぼ毎回書名を明示して引用しているのが、かつて四谷新生教会で伝道師をされていた左近淑先生の『旧約聖書緒論講義』(『左近淑著作集第 3 巻』教文館、1995 年)です。まずここで皆様と接点があります。
しかし、それが左近先生の『旧約聖書緒論講義』の欠点だと言いたいわけではありませんが、今日の箇所のエゼキエル書についてはほとんど全く解説がありません。私はあの左近先生の講義を東京神学大学の教室で「ナマで」聴いた世代のひとりですが、実際の教室の中でもエゼキエル書については、全く語られませんでした。書物になっているものでも「記述預言者からイザヤ、エレミヤだけを見ます。あとは時間がありませんのでお話しできません」(同上書、258 ページ)とはっきり書かれています。半分冗談で申し上げますが、東京神学大学の卒業生の中に左近先生の口からエゼキエル書の話を聴いたことがある人は、だれもいないかもしれません。
しかし、いま私が高等学校で旧約聖書を教える立場にあって、「三大預言書についてはイザヤとエレミヤだけお話しします、あとは時間がありませんのでお話しできません」と言って済ませるわけには行きません。それで困ってしまいまして、エゼキエル書について左近先生の旧約緒論と同じレベルの別の参考文献を探すことになりました。それで見つけたのが、千葉大学で聖書学を教えておられる加藤隆先生の『旧約聖書の誕生』(筑摩書房、2008 年)です。
その内容は、私はとても素晴らしいと思っています。個人的な話が長くて申し訳ありませんが、私は東京神学大学では組織神学を専攻しましたが、ヘブライ語の授業を一度も受けたことがなく、実はヘブライ語を一文字も読めません。それでよく牧師などやっているなと叱られそうですが、とにかく全く読めないので旧約聖書の知識は専門家に頼るしかありません。その意味で私は加藤隆先生の『旧約聖書の誕生』について評価する立場にありません。間違いを指摘することなどは全くできません。しかし、とにかくエゼキエル書については加藤隆先生の書物に基づいて授業をしました。今年度はその授業は終わって期末試験も終わりましたので、今日皆さんにお話しすることも基本的に加藤先生の書物に基づいているということをあらかじめ明示しておきます。
ここからが今日の本題です。「加藤先生の解説によると」といちいち言わないでお話しします。エゼキエル書は全体で 48 章あります。預言者エゼキエルは、紀元前 597 年にバビロンに最初に捕囚となって連れ去られた人々の中に混じっていました。
バビロン捕囚は、詳しく言えば 2 度起きます。それを「第一次捕囚」と「第二次捕囚」と分けて言います。「第一次捕囚」が紀元前 597 年で、このときエゼキエルがユダ王国から新バビロニア帝国の首都バビロンへと連れ去られた捕囚の中のひとりだったというわけです。そしてその後、「第二次捕囚」が起こるのが、第一次捕囚の 10 年後の「紀元前 587 年」であるというのが加藤隆先生の説明です。ただし別の本、たとえば富田正樹先生の『キリスト教資料集』を見ると第二次捕囚に当たる事件が起こった年が 1 年違いの「紀元前 586 年」と書かれています。どちらが正しいかは私には分かりませんので、高校生には両方教えておきました。「加藤説と富田説がある」と言っておきました。
紀元前 597 年の第一次捕囚で起こったのは、新バビロニア帝国のネブカドネザル王によるエルサレム占領です。そして、ユダヤ人のうちのすでに指導者だった人たち、あるいは将来指導者になりうる層の人たちが、新バビロニア帝国の首都バビロンに連行されます。連行された人数は、エレミヤ書 52 章 28 節には「3 千人ほど」と記され、列王記下 24 章 14 節には「1 万人ほど」と記されています。どちらが正しいかは、これも私には分かりません。この中にエゼキエルがいました。
第一次捕囚のときは、ユダ王国はまだ滅ぼされません。バビロニアに忠誠を示す王が立てられます。それがユダ王国最後の王となるゼデキヤです。しかし、とにかくまだ建物が壊されたり、人が殺されたりするような状態になっていなかったことが関係して、ユダヤ人の多くはこの災難は一時的なものに過ぎないと思い、要するに「ナメて」いました。その様子を見たエゼキエルは黙っていられず、ユダヤ人たちを激しく非難し、エルサレムの滅亡とイスラエルの破滅を予告します。しかし、第一次捕囚の人たちはエルサレムや王国が滅びることはないと考え、エゼキエルの言葉に耳を貸しませんでした。
しかしその後、第二次捕囚が起こります。加藤説では紀元前 597 年、富田説では前 596 年です。それはバビロンの傀儡として立てられたはずのゼデキヤ王が状況判断を誤って、バビロンに反旗を翻して戦争を仕掛けて行ったことへの逆襲でした。エルサレムは破壊され、ソロモンが建てた第一神殿は破壊され、ゼデキヤ王は両眼をつぶされ、青銅の足枷をはめられ、バビロンに連行されました。
その状態になって初めて人は絶望しました。「ナメて」いた人たちの顔色が変わりました。その絶望するユダヤ人の姿を見たエゼキエルは「ほら見たことか、ざまあみろ、私の言うことを聞かなかったからこうなったのだ」とは言いませんでした。そうではなく、エゼキエルは、ただちに彼らを励ます希望のメッセージを語りはじめました。「エゼキエル、かっこいいだろ」と高校生に言ったら、うなずいてくれました。自分自身も捕囚の苦難の中に巻き込まれている立場にありながら、絶望する人たちを非難して追い打ちをかけるのではなく、全力で希望のメッセージを語るエゼキエルの姿を想像するだけで、元気になるものがあります。
しかし、現実のエゼキエルは、まさに自分自身も捕囚されている状態なので、具体的な行動をとることができるわけでもない。ただ言葉を語るのみ、そして、ただ「幻」を見るのみにすぎませんでした。
そのエゼキエルが見た「幻」のひとつが、今日の聖書の箇所の「枯れた骨の復活」の幻でした。
神はエゼキエルに、枯れた骨が無数にある谷をお見せになり、これらの骨が生き返るように、と預言するようにお命じになります。そのとおりにエゼキエルが預言すると、骨が近づき、筋と肉が生まれ、それを皮膚が覆い、さらに霊が入ります。そのようにして、イスラエルの全家が生き返ります。
「死者の復活など信じられない」という意見があるのは当然です。死んだ人は生き返りません。
しかし、エゼキエルが見た「幻」の内容は、それが科学的に起こりうるかどうかなどいう次元の話とは全く異なるものです。自分の故郷を失い、家族や同胞が殺され、ひとつの国の滅亡を体験して絶望する人々に、それでも未来がある、国は立てなおされる、という希望のメッセージを、神が預言者エゼキエルに語らせたのです。
今の私たちにも「希望のメッセージ」が必要ではないでしょうか。ほとんど国の体をなしていない政治の腐敗に、新型コロナウィルス感染症が追い打ちをかけてきました。多くの人が「絶望」しています。
その中で、教会が、わたしたちが絶望に追い打ちをかけるような非難の言葉を繰り返しているだけであるわけには行きません。今こそ「希望のメッセージ」を語るときです。「死者の復活」を語るときです。
そのように思いましたので、皆様にお伝えいたします。四谷新生教会の皆様の上に、神の恵みと祝福が来年も豊かにありますようにお祈りいたします。
(2020 年 12 月 27 日、日本キリスト教団四谷新生教会 主日礼拝)
2020
26Dec