2020年12月6日 アドベント第二主日 四谷新生教会
「すべての民の祈りの家」 荒瀬牧彦
イザヤ書56章1-8節
アドベントの二番目の主日を迎えました。旧約聖書からの長い歴史があって、その歴史の一番先の
ところにわたしたちが立っていることを覚えながら、神の国を求めていきましょう。
今開きましたイザヤ書の56章ですが、実はこの56章からは、紀元前8世紀の預言者イザヤの預
言をおさめている1章から39章、そして、「第二イザヤ」と仮に呼ばれる預言者のことばを記してい
る40~55章とは、また違った時代、違った預言者によって語られた部分です。現代の聖書学では、
56章から66章を仮の名前として「第三イザヤ」と呼ばれます。その第三イザヤとは一人の預言者
のことというよりは、数人の預言者集団によって語られたものではないか、と多くの聖書学者は考え
ています。
語られた時代は、バビロン捕囚から解放された後の時代です。紀元前539年にペルシアが、バビ
ロニア帝国を倒してバビロンを征服します。ペルシアの王キュロスは、ユダヤ人に対して祖国への帰
還と神殿の再建を許可します。それを受けて、最初のグループが故郷ユダの地への帰還に旅立ったの
は、紀元前538年だったろうと考えられます。
実は「帰ってよい」と言われても、帰らなかった人たちが大勢いました。バビロニアでの生活も半
世紀を越えましたから、苦労したとはいえ、それなりにその地での生活に慣れ親しんでいたでしょう
し、何より故郷の地は荒れ果てているという情報が入っています。長い距離を危険な場所を通って帰
還の旅をするというのも恐ろしいことです。ならば、ここに留まったほうが、という選択をした人た
ちもいたのです。
しかし、故郷へ帰り、エルサレムに神殿を再建するのだという固い意志をもって帰国した勇気ある
人たちも、数は多くありませんがいたのです。なにせ荒れ果てた土地に戻ったのですから生活は厳し
く、ユダヤに残っていた人たちとの軋轢があったり、サマリア人からの妨害に遭うなど、様々な困難
があって、途中で再建事業がとまってしまうなどしたのですが、総督のゼルバベルと、大祭司ヨシュ
アの指導のもと、ついに紀元前515年、神殿再建がなるのです。「第二神殿」と呼ばれるものです。
さて、問題は、苦労しながら再建した神殿が、どのような場所であるべきか、ということです。こ
の神殿では大祭司のもと、多くの祭司たちが仕えるという祭司制度は整えられたのです。祭司たちは
申命記に記されている律法によって、堕落して、様々な問題を抱えている自分たちの民を立て直そう
としました。
しかし申命記律法の中には、とても排他的な面が含まれています。申命記23章2節以下(旧約 316
頁)を見てみましょう。そこには、このような規定があります。
「睾丸のつぶれた者、陰茎を切断されている者は主の会衆に加わることはできない。混血の人は主の
会衆に加わることはできない。十代目になっても主の会衆に加わることはできない。アンモン人とモ
アブ人は主の会衆に加わることはできない。十代目になっても、決して主の会衆に加わることはでき
ない。・・・・・ 」
申命記律法を用いての一種の「純血主義運動」のようなものが強まると、困る人たちが出てきます。
それは異邦人と結婚した人やその家族です。そのような運動の渦中にあったネヘミヤ記には、「異民族
の妻を迎えた者は大きな罪を犯したのだ」と責める言葉と、そのような者を追放したという記事があ
りますが、追い出された側の人たちはさぞ辛かったでしょう。主なる神を信じ、信仰共同体に加わっ
てきたユダヤ以外を出自とする人たちが、民族主義台頭の中で「主の会衆に加わることはできない」
と宣告され、外国人として追い出されてしまうのです。またその家族が「けがれを持ち込んだ」と非
難されてしまうのです。
長くなりましたが、以上が、今日の聖書箇所の背景にある歴史です。
第三イザヤはこのような動きに対して、主なる神のみこころを伝えようと預言を語ります。
「主のもとに集って来た異邦人は言うな
主はご自分の民とわたしを区別される、と。
宦官も、言うな
見よ、わたしは枯れ木にすぎない、と。」
これは、申命記律法を用いての外国人や異なる種類の人たちを排斥しようとする運動に対しての、
明白にして強力な「否!」です。自分たちだけが「きよい」と自惚れて、「純粋」な血筋の者たちだけ
で神殿祭儀を行えば、神によしとされて繁栄が取り戻される、という考え方。それは礼拝において何
より肝心な、主なる神様の目から見て間違ったことだ、と言っているのです。
ちなみに「宦官」という存在は、イスラエル起源ではなく古くから諸国に見られたようですが、イ
スラエルにも存在したのです。自分の地位を狙われていると絶えず不安に襲われている権力者にとっ
ては、去勢され、子孫を残す可能性を絶たれた、しかし頭脳優秀で役に立つ右腕になる存在は、求め
られたのでしょう。しかしその人たちは、申命記律法の視点からは、体に欠損をもった「傷もの」と
され、主なる神の礼拝者としては「ふさわしくない」とされていたのです。
預言者は言います。礼拝者としてのふさわしさ。それは、出身地や民族や身体的条件によって決ま
るものではない。どんな人でも、「主に仕え、主の名を愛し、その僕となり、安息日を守り、それを汚
すことなく、わたしの契約を固く守るなら」、主なる神はその人を「わたしの祈りの家の喜びの祝い」
に加えてくださる!
この個所がわたしたちに教えてくれるのは、まず、礼拝者としてのわたしたちがどんな生き方をし
たってよいし、行いの問題などは神信仰に関係ない、というのではないということです。神様を真に
礼拝するというのは、その神様が求めている人間らしいあり方を求める、ということを含むのです。
そのあり方というのは、端的にいえば56章冒頭で命じられていることです。「正義(ミシュパト)
を守り、恵みの業(ツェダカー)を行え」(聖書協会共同訳「公正を守り、正義を行え」)ということ。
そして「安息日を守る」こと。あのドイツの牧師・神学者デートリッヒ・ボンヘッファーが、「祈るこ
とと、人々との間で正義を行うこと、この二つのことが、今日、キリスト者をキリスト者とするので
ある」と書いているのを思い起こします。
わたしたちが自分たちの礼拝について真剣に考え、それをより良いものとしていくために諸々の要
素を考え、整えていくというのは大切なことだと思いますが(そして私は礼拝学と呼ばれるその分野
を専門としているのですが)、根本的には、礼拝のふさわしさというのは我々の生き方の根幹のところ
にあるのです。正義を守り、恵みの業を行い、神様との時間を大切にすること、それです。
イエス様が神殿で商売の人たちを追い出し、台や腰掛をひっくり返した「宮清め」のことを思い起
こします。(マタイ21章12-17節)あれは本当に過激な行為でした。あの時イエス様は、「わた
しの家は祈りの家と呼ばれる。」ところが、あなたがたはそれを強盗の巣にしている」と言われました。
つまり、イザヤ書56章7節の聖句を引用して、まさにその「祈りの家」を取り戻すために、あんな
ことをしたのでした。あの場面はどうしても、イエス様の派手な暴れっぷりだけをイメージしてしま
うのですが、より重要なのはその後に神殿において起こったことではないかと私は思っています。
マタイ福音書を読むと、二つのことを福音書記者は伝えています。第一は、「目の見えない人や足の
不自由な人たちがそばに寄ってきたので、イエスはこれらの人々をいやされた」ということです。
律法が支配する当時のユダヤ社会では、障がいをもった人たちは「傷がある」、「けがれをもってい
る」という理由で、神殿の「中」には入れなかったはずです。入口のところで物乞いをしている人が
多かったのです。でもこの時、売り買いをしている人たちが追い出されて、静まり返った境内に、こ
の人たちが入ってきました。そしてイエス様のもとに来ました。イエス様のもとに来たというのは、
それ自体が祈りだと言えるのではないでしょうか。「主よ、憐れんでください。主よ、さわってくださ
い。主よ、ことばをきかせてください。主よ、救ってください」という祈りです。
イエス様は祈りを受け止めてくださる御方です。誰が祈っても、どんな祈り方であっても、その祈
りが真摯なものであるならばそれに全身全霊で応えてくださる御方です。イエス様は彼らを癒されま
した。これぞ、祈りの家である神殿にふさわしいことではないですか。神の業が、神の祈りの家でな
されたのです。
そしてもう一つのこと。それは、こどもたちの声が聞こえてきた、ということです。いやされた人
たち、それを目撃した人たちがイエス様の不思議なわざに驚き、こどもたちも喜んで「ダビデの子に
ホサナ」と叫びだしていました。その声が聞こえてきたのです。
エルサレム入城の場面を思い出してください。イエス様が小さいロバに乗ってエルサレムに入って
来られた時に、群衆が歓呼して迎えました。あの時、「ダビデの子にホサナ」と人々が叫びました。あ
の「ホサナ!」の賛美が、商売の騒々しさが消えた神殿に響いたのです。
小さいエピソードのようですが、これはすごく重要なことだと私は思います。こどもたちは、イエ
ス様のことを<乱暴な人、こわい人>と思わなかったのです。逆です。イエス様が来てくださったこ
とが嬉しかったのです。「ホサナ!」と歌いなくなるほどだったのです。
祭司長たちや律法学者たちは苛立ちました。「おいおい、こどもがあんなことを叫んでいるぞ。こん
なひどい神殿あらしをする男に、なにがホサナだ」ということでしょう。イエスに向かって「子供た
ちが何と言っているか、聞こえるか」と問い詰めました。それに対して、イエス様はお応えになりま
した。「聞こえる。あなたたちこそ、『幼子や乳飲み子の口に、あなたは賛美を歌わせた』という言葉
を読んだことがないのか」。これは詩編8:2からの引用です。
神殿という場所が、神さまご自身にふさわしくなくなってしまう。神様とわたしたち神の民との出
会いにふさわしくない場所になってしまう。それは、旧約の昔にだけそういうことがあったというこ
とでなく、また、イエス様の時代の神殿はそうであったということではなく、キリスト教の歴史の中
でも起こってきたことだと、わたしたちは知らなければなりません。また、「今どうなのか」と問われ
ていることに気が付かなければなりません。
「わたしたち自身が、神の住まいとしての神殿なのだ」とパウロは言いました。主が住まいとして
くださる神殿としてのわたしたち。ここは、「すべての民の祈りの家」として開かれているでしょうか。
どんな人もおいでなさいと招いておられる神さまにふさわしいでしょうか。正義と恵みの業を何より
願っている神さまにふさわしいでしょうか。弱さを抱えた人、小さい人たちが安心して自由にいられ
る場所になっているでしょうか。
宦官に「わたしは枯れ木にすぎない」といわせない神様の愛、外国の人をなんら差別せず追い出す
ことをしない神様の愛、すべての民の祈りの家を住まいとされる神様の愛。それを喜びましょう。そ
して、その愛を映し出すような神殿となっていきましょう。
<祈り>
神様、あなたはその住まいを「すべての民の祈りの家」と呼ばれます。わたしたちをその祈りの家に
招いてくださることを感謝します。わたしたち自身をその祈りの家としてください。
光とした闇の中に来てくださる主イエスの御名によって。アーメン。
2020
04Dec