2020年9月20日四谷新生教会
「魂の宿るところ 」Ⅰペトロ2:11−25
わたしたちの生活は季節が移り変わりつつあり、そしてまたわたしたちの社会の政治指導者が移り変わりつつあります。まるで古代のローマ社会での皇帝の跡継ぎ指名ででもあるかのような、「委譲」譲り渡すことと言い表すのがふさわしいような、政権の交代をもう既に起こったことであるかのようにメディアは報道しています。自分の思いや願いとは全く異なる様に見えるその権力の移り変わりを目のあたりにするにつけ、自分は果たしてこの社会に、そのシステムの一員として存在している意味があるのだろうかとさえ思わされます。
今日礼拝で読まれた手紙の著者は、手紙を読む人々に向けて自分たちクリスチャンのことを「旅人であり、仮住まいの身」と表現しています。聖書の言葉の「仮住まい」であるということは、一時的に別の住居に居住していて、問題が解決したら、自分の本来所属するべき土地や家に帰還することができる、というような事柄を意味しているものではありません。「仮住まい」とわたしたちの聖書で言っている言葉は、これより以前の聖書翻訳、日本聖書協会の口語訳聖書では「寄留者」とされていたものです。この言葉の方がよりイメージしやすいかもしれません。「仮住まい」、「寄留者」であることは本来自分が所属するべき場所が、この世界には存在しないということを意味するものです。
そこでは当然のことながら、どこかに、またなにかに所属することで得られる安心感や、また所属している人びとが付与される特権も、「旅人であり、仮住まい」のものは受け取ることができないと言うことを意味しています。
その国で、その町で、その集落で、その集合体の中で誰が「仮住まい」=「寄留者」であるかを決めるのは多くの場合、多数派です。より多いもの、より力を持つもの、より強いものが、誰が「仮住まいの身」であるかを決めることになるのです。「仮住まい」はいわば人間の世界では外から押しつけられた身分です。
ところが、聖書の中ではそうではありません。礼拝で読まれた、ペトロの手紙において、そしてまた同じように自分たちのことを「旅人であり仮住まいの身である」と言い表しているヘブライ人への手紙において、この「旅人であり仮住まいの身」であることは、決して外側から強制され押しつけられた社会的身分ではありません。
聖書の中では、「旅人であり、仮住まいの身」であることは、キリストに出会うことで自ずと身に寄せ付けた生のありかたであると伝えられます。個々のキリスト者がそれを選び取りそこにとどまるものとしての「仮住まいの身」です。
キリスト者がこの世界で「旅人」として生き、「仮住まい」の身分を引き受けることができるのは、自分たちのいのちのすべてが所属する場所を知っているからです。羊のようにさまようことなく、魂の牧者のもとにつながれているからです。「旅人であり、仮住まいの身」は「今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです」と今日礼拝で読まれた手紙は宣言しています。
その事実から、与えられたいのちを生きるようにと教えます。「わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるため」に「十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担って」くださったキリストの故に、わたしたちが所属するところが与えられています。わたしたちの与えられたいのちのすべてはキリストによって意味が与えられているのです。
そこから「仮住まい」の者がどう生きるかを、手紙は伝えます。「主のために、すべての人間の立てた制度に従いなさい」「服従しなさい」「従いなさい」これらの命令にはすべてキリストによって意味が与えられている、という前提があるのです。
そこでは「従いなさい」にも「服従しなさい」にも積極的な意味が与えられます。帰るべきところがあるから、それを与えてくれたキリストに倣って生きる。それが、キリスト者の生きる従順であると。
ペトロの手紙を最初期に読んだ人びと、最初期のキリスト者の多くは社会的身分の保障されないものたちでした。社会のシステムの中で、権力の支配を受ける人たちです。奴隷として扱われていた人、のしかかる力に抵抗できない人、世界において「仮住まい」=「寄留者」であることを押しつけられた人、最初期のキリスト者はそのような人びとでした。自分の力ではねのけられないような重荷にあえいでいる人は、この聖書の言葉によって、自分のいのちの歩みを受け取り直すことができました。これらの人びとに対して呼びかけられる「仮住まいの身」は誇りを持った呼びかけとなります。巻き込まれ振り回されるだけの人生を生きているものように自分のいのちの歩みを受け止めていた人びとは、それまでとは異なるものとして人生を受け取ることができるようになるのです。
魂の牧者の下でキリスト者のいのちの歩みはキリストに繋がるものとなります。生きる困難はキリストの苦しみに連なるものと理解され、忍耐はキリストの模倣となります。自分たちの思うようにならない人生は、押しつけられた不自由というより、担うべき課題です。
キリスト教を受け入れ、社会の中で生きる人びとはみな、同じようにこうして自分の人生を受け取り直すことができました。大きな力に翻弄される人生を、受け取り直すことができました。
浦上四番崩れというかくれキリシタンの味わった苦悩の物語があります。江戸末期、政府の開国で来日したフランス人神父は、幾人かの村人に声をかけられます。「わたしたちはあなたと同じ信仰を持っています。マリア像を見せてほしい」というのです。こうして、長崎の浦上で250年以上禁止されて来たキリスト教を密かに受け継いできた人びとが見出されます。そうして、この神父プティ・ジャンの導きの下、信徒たちは信仰生活を取り戻しますが、いわゆる浦上四番崩れという悲劇はここから始まります。浦上の信徒たちが仏式の葬儀を拒んだことで長崎奉行が信徒たちを一斉に逮捕します。そして逮捕された信徒たちは開国の時代になって、信仰を理由に迫害を受けることとなりました。82人の信徒は厳しい拷問を受け次々信仰を捨てました。その後浦上村から引き離され、様々な藩に身柄を預けられます。浦上の信徒たちはこの経験を「旅」と呼びました。これらの信徒の中に高木仙右衛門という人がいました。厳しい拷問にも信仰を捨てない仙右衛門に役人が、他の者はみな信仰を捨てたのになぜお前は信仰を捨てないのだと問われたとき仙右衛門はこう答えたと言います。「天子、将軍様の云ふことを私きき入れぬとは申しません。天地万物なき時より天主様がつくりますれば 天子将軍様より天主様が上であると私思いまする。仏や神道の道にさえかからねば何にても将軍様のいうことをききまする。天主の御掟にかのう事は天子将軍さまのいうことにしたがいまする」神の存在が根拠にある、そこに於ける従順を仙右衛門は口にします。
七年の歳月を津和野藩で過ごし仙右衛門は「旅」を終え、浦上への帰郷を赦されます。浦上に帰った仙右衛門は、伝道師として働き、学校を作り、教会を建てました。
神の下での、権力者への従順を貫いた仙右衛門は帰るべき場所、自分が所属する場所に旅路の果てにたどり着き、その使命を全うしました。
わたしたちはこの世界を「旅」するものです。この世にあっては寄留者、仮住まいのものです。そして、その命の歩みの中で、現実に存在している社会の枠組みの中で、不正を怒り、抑圧を苦しみ、時に人として生きる権利の剥奪さえも経験します。けれども聖書は「仮住まいの身」において受け取るそれらすべては、魂の牧者の下では誇りをもって担うべき課題となるのです。キリスト者のいのちの歩みはキリストに繋がっています。生きる困難はキリストの苦しみに連なるもの、忍耐はキリストに倣うことだと聖書は教えます。
帰るべきところを目指し、わたしたちの思うようにならない人生を、共に自由に歩んでまいりましょう。
祈りましょう。わたしたちのいのちの造り主、主なる神さま。あなたが独り子イエス・キリストの十字架によって、わたしたちをあなたに繋いでくださったことを感謝します。地上を旅する仮住まいのわたしたちのいのちの歩みは、あなたという帰る場所があるからこそ、生きる意味あるものとなります。独り子イエス・キリストに倣ってわたしたちが地上の生を歩みとおすことができるように支えてください。魂の牧者イエス・キリストの名によって祈ります。アーメン