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  • 「主の祈り1」 マタイ6:9-15
2018
10Jun

「主の祈り1」 マタイ6:9-15

  • 今月の説教

今回は主の祈りの基礎知識をご一緒に学びます。

 

まず第1に、主の祈りは欠けの無い祈りです。そして全ての祈りの骨組みです。何故なら、祈りの原則と言えるすべてが主の祈りの中にそろっているからです。

2番目に、山上の説教があらゆる地域とあらゆる時代のキリスト者のためのものであったように、主の祈りはキリスト者全てのための祈りです。つまり私たちは、自分の祈りを主の祈りに照らして常に注意する必要があるということです。

3番目に、主の祈りは「キリストの御名によってお献げします」という言葉が付いていないからといって、決して不完全な祈りだではない、ということです。まずヨハネによる福音書によれば主イエスが御名によって祈るようにと教えてくださったのはその生涯の終りにおいてでした。また「天にいます我らの父よ」と祈り始めることで、言外ではあっても御子イエス・キリストの御名によって祈っていることが表れています。主イエスが神から送られたキリストだと信じる者でなければ、神に向かって「天にいます我らの父よ」ということは出来ないからです。

4番目に、主の祈りが欠けのない祈りだからといって、唱えるだけでは祈りにはなりません。「ここに肉付けされることを待っている祈りの骨組みがある。この順序に従って自分の心を探りながら丁寧に祈って行くべきなのだ」と気付く必要があります。主イエスが、ご自分が祈る時に何時も心に留めていた方法を教えてくださったと言うことは、主の祈りの模範に従って祈ることが信仰に沿った祈りだということだからです。

 

最後に、主の祈りの大切さを知ると、自分が祈っている様々な祈りが自分本位の祈りであることに気付かされます。そうしたときには、まず深呼吸をしましょう。祈りの第1歩は、自分の思いをまとめることだ、といった先人もいます。苦しみ悲しみを抱えていると、思いが先走って言葉がこぼれ出そうです。だからこそ深呼吸をし、聖であり愛である神様に祈る自分を意識する。すると「わたしたちの父よ」という短い呼びかけに祈りの中心が在ることが分かって来ます。心から「わたしたちの父よ」と呼びかけられたら。…もう、私たちの祈りは既に答えられている、と言って良いでしょう。何故なら私たちに一番欠けているのは、私たちと神様の関係をしっかりと捉えることだからです。

神に向かうとき最初にすることは、言葉を出す前に心を整えることです。多くの先人が主の祈りを通して何度も自分自身を振り返り、信仰の姿勢を正されて来たことを思い、私たちも主の祈りを通して、何度でも信仰の姿勢を正されて行きたいと願います。

2017.7

「祈るときには」 マタイ6章5~8節

主の祈り2 マタイ6:9-15

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